1978年バロンドールに相応しいのはキーガン?ケンペス? - サカなん

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    バロンドールは元々、欧州年間最優秀選手賞として1956年に作られた。それから1994年までの39年間はヨーロッパ国籍の選手限定のまま表彰を続けていた。1995年に初めて、UEFAに加盟するクラブチームに所属しているという条件付きではあるが、対象者の国籍を問わないことになった。2007年からは、UEFAに限らず、全世界のリーグも対象となり、晴れて「世界年間最優秀選手賞」の扱いになったのである。とは言え、ワールドクラスの選手がヨーロッパのリーグに一堂に会する現代のサッカー界なのだから、1995年からでも実質「世界年間最優秀選手賞」と言って差し支えないだろう。

    このような歴史的背景から、バロンドールを創立したフランス・フットボール誌は、2016年のバロンドール60周年に際し、1994年以前の受賞者を再度評価し直した。つまり、「創立当初からバロンドールが全世界の選手を対象にしたものだったら受賞者は誰になっていたか」を仮想したのだ。その内12回が、再評価の結果、正規の受賞者とは別の選手が受賞に相応しかったという結論に至った。

    12回の内の一つは1978年バロンドール。正式な受賞者は、イングランドのケビン・キーガンだ。しかし、フランス・フットボール誌は、アルゼンチンのマリオ・ケンペスが受賞に相応しかったと認定した。ここでは、その理由を考察していく。

     

    正式な受賞者 再評価された選手
    選手 ケビン・キーガン マリオ・ケンペス
    国籍 イングランド アルゼンチン
    所属 ハンブルガーSV(西ドイツ) バレンシア(スペイン)
    ポジション

    FW、MF

    FW、MF

    チーム

    タイトル

     

    FIFAワールドカップ優勝

    主な個人

    タイトル

    FIFAワールドカップ最優秀選手賞

    FIFAワールドカップ得点王(7試合6得点)

    ラ・リーガ得点王(34試合28得点)

    その他

    要素

     

     

    1978年のバロンドールは史上最大の謎

    毎年受賞者が発表される度に議論の的になるバロンドール。

    それが、世界中のサッカー選手が一度は憧れるであろう偉大な個人賞の宿命とも言える。

    過去には賛否の”否”の方が強い受賞者は何選手かいたのだが、中でも特に謎めいているのが1978年のバロンドールの受賞者ケビン・キーガンだ。

     

    世界最高峰の個人賞とされるバロンドールだが、単純な個人能力だけで受賞者が決まるというよりも「その年の顔」と呼べる選手に贈られる場合がほとんどだ。

    個人での活躍はもちろんのこと、所属チームの成績が優れていることも大きな要素と言える。

    このことは欧州サッカーファンなら誰もが認知しているバロンドールの大前提であるが、それを踏まえて1978年のバロンドールのリストを見ると

     

    「なぜキーガンが受賞者なんだ?」

     

    と、疑問を抱く人が多いのではないだろうか。

     

    なぜキーガンがバロンドール?

    この年のバロンドールを受賞したケビン・キーガンが当時所属していたハンブルガーSVはドイツ・ブンデスリーガでは万年中位の(厳密には少しづつ上位に食い込む力をつけてきていた)クラブであり、この年のリーグ順位は10位だった。

    国内のオープンカップ戦であるDFBポカールもベスト16止まり、欧州カップ戦ではUEFAカップウィナーズカップに参加したものの2回戦敗退に終わっている。

    いわゆる「無冠」である。

    もちろんキーガンの個人能力は世界最高クラスだったが、ハンブルガーSVではMFとしてプレーしていたため、ブンデスリーガ25試合6得点、DFBポカール4試合4得点、UEFAカップウィナーズカップ4試合2得点というように、実力がイマイチ数字に表れにくかったこともバロンドール獲得には不利だったはずだ。

     

    では、クラブではタイトルに縁がなかったキーガンのナショナルチームでの活躍ぶりはどうだったのだろうか。

    1978年と言えば、FIFAワールドカップが開催された年でもある。

     

    このサッカー界No.1の大会で活躍をすれば、言うまでもなくバロンドールの選考に大きく影響する。

    1970年の例で言うと、クラブで無冠に終わったゲルト・ミュラーが同年のワールドカップで6試合10得点と大暴れし、西ドイツ代表の3位入賞に貢献したことが評価され、見事1970年バロンドールに選ばれている。

    では、キーガンがエースとして君臨していたイングランド代表の1978年大会の成績を振り返ってみよう。

    イングランド代表の成績は…

    なんと…

    予選敗退である。

    予選とはグループリーグのことではない。ヨーロッパ地区予選のことだ。

    つまり、キーガンワールドカップの本戦にすら出場していないのである。

     

    ちなみに、1978年はワールドカップ以外にも親善試合や大陸間選手権の予選などがあり、キーガンはイングランド代表として6試合に出場し、ブラジル戦(親善試合)で1得点、デンマーク戦(UEFA欧州選手権1980年大会の予選)で2得点をそれぞれ決めている。

     

    さて、いよいよキーガン1978年バロンドールに選ばれた理由が分からなくなってきた。

    当時の西ドイツがUEFAランキング1位でハンブルガーSVも最強リーグの一員だったとは言え、メジャータイトルを一切手にすることができず、あまつさえサッカー界最大のイベントに参加すらしていない選手に、欧州最高の個人賞が贈られるのはどうしても不当に感じてしまう。

    公平に見れば、クラブでもワールドカップでも活躍したハンス・クランクル、ロブ・レンセンブリング、ロベルト・ベッテガ、パオロ・ロッシといった面々の方が受賞に値したのではないだろうか。

     

    前年度こそバロンドールに相応しかったキーガン

    実は、この謎にはある噂が囁かれている。

    それは、1978年バロンドール投票の背景には前年のバロンドールが影響しているという説だ。

     

    キーガンは前年(1976-77シーズン)までリバプールに所属し、この最終年をイングランドリーグ優勝で飾った。

    イングランド最高クラスのアタッカーに成長していた25歳は、このシーズンも持ち前のスピード、テクニック、ハードワークで名門のオフェンス陣を牽引し、チーム最多の12得点を挙げた。

    また、彼がゴールを決めた全12試合でリバプールは勝利しており、キーガンは優勝の立役者と言える活躍ぶりを見せていた。

     

    そして、1976-77シーズンのリバプールはリーグ優勝だけではなく、UEFAチャンピオンズカップ制覇も成し遂げていた。

    キーガンはラウンド32、ラウンド16、準々決勝、準決勝で得点を挙げた。

    決勝のボルシアMG戦でこそ得点はなかったものの、それ以外の全てのラウンドで相手ゴールネットを揺らし、チームの欧州制覇に多大なる貢献をした。

     

    以上の活躍からキーガン1977年バロンドールの最有力という見方が強かった。

    しかし、実際に受賞したのは、UEFAチャンピオンズカップ決勝でリバプールと対戦したボルシアMGのデンマーク代表アラン・シモンセンだった。

     

    1977年のシモンセンバロンドールに相応しい活躍をしていたのは事実だ。

    ドイツ・ブンデスリーガで12得点を挙げ、3連覇に貢献し、上述の通り、UEFAチャンピオンズカップでは決勝進出を果たしている。

    また、翌1977-78シーズンのUEFAチャンピオンズカップの1977年中に行われた4試合でも5得点を記録していた。

    これらの活躍が評価されてのシモンセンの受賞だったが、やはりUEFAチャンピオンズカップで勝利したキーガンが選ばれなかったことへの疑問は多く残っていた。

     

    そして、この前年度の疑惑の結果に対する同情や反感が1978年のバロンドールでのキーガンのリベンジを後押ししたのではないか、と言われているのだ。

     

    しかし、これはあくまで噂であり、裏付けや根拠は全くない。

    結局のところ、このバロンドール史上最大の謎は、迷宮入りしてしまったようだ。

     

    1978年ワールドカップの主役と言えばケンペス

    さて、1978年バロンドールの考察だけでかなり長文になってしまったが、ヌーボー・パルマレス・バロンドールの本題はここからだ。

     

    前述の通り、FIFAワールドカップはバロンドールの選考に大きく影響するコンペティションの筆頭である。

    そして、1978年ワールドカップで最も輝いた選手が誰かと問われれば、十中八九のサッカーファンがマリオ・ケンペスと答えるはずだ。

     

    1978年ワールドカップはアルゼンチンで開催された。

    昔から強豪国と呼ばれながらこの世界大会に関しては未だ無冠だったアルゼンチン代表は、今回の地元開催を受けて国家レベルで初優勝を義務付けられていた。

    そのアルゼンチンの中心選手だったのがFWのケンペスだ。

     

    アルゼンチンを世界一に導いた背番号10

    この大会、ケンペスは最初から好調だったわけではない。

    ハンガリー、フランス、イタリアと同組になり、死のグループとされた一次リーグ3試合では、全てでフル出場しながらも得点を奪うことができなかった。

    チームもあと一歩のところでグループ首位通過を逃し、首都ブエノスアイレスの試合会場からロサリオへの移動を余儀なくされてしまった。

     

    しかし、背番号10番の逆襲は二次リーグから始まる。

    初戦のポーランド戦では、16分に先制となるヘディングシュートを決めると、ポーランドが攻勢を強めていた72分にも、シュートをブロックするために飛び込んで来た相手DFを冷静にかわして決定的な2点目をもたらした。

    さらに、決勝戦進出のために4点差以上での勝利が求められた3戦目のペルー戦では、21分に巧みなボールコントロールからのシュートで先制点を挙げると、49分にもチームの3点目を決め、6-0の圧勝劇に貢献した。

    ケンペスの活躍もあり、アルゼンチンはファイナルへの挑戦権を得ることができた。

     

    決勝戦の相手は、前回1974年大会の準優勝で世界を驚かせたオランダだった。

    ちなみに、当時19歳だったケンペスもその大会のオランダ戦に出場しており、革新的トータルフットボールの餌食になっていた(0-4の完敗)。

    しかし4年後、この難敵を相手にケンペスはリベンジを果たす。

    37分にオランダ守備陣の僅かなギャップに侵入して先制点を奪うと、集中力も体力も限界を迎えた延長14分には、2人のDFを一瞬で抜き去り、シュートこそGKに阻まれたものの、こぼれ球を粘り強く押し込んで貴重な決勝点を挙げたのだった。

     

    こうしてアルゼンチンは悲願のFIFAワールドカップ初優勝を果たし、その立役者となったマリオ・ケンペス大会最優秀選手賞得点王の個人2冠を達成した。

     

    真のバロンドールに相応しいのは…

    両者の活躍を比較すれば、1978年のバロンドールマリオ・ケンペスに相応しいという再評価も頷けるのではないだろうか。

    付け加えると、ケンペスは1977-78シーズンのラ・リーガ得点王にも輝いている。

    ワールドカップの活躍だけでも十分なのだが、クラブでもこれだけの結果を残しているとなれば、ケビン・キーガンも流石に文句は言えないだろう。

     


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