1959年バロンドールに相応しいのはディ・ステファノ?ペレ?サンフィリッポ?サシア? - サカなん

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バロンドールは元々、欧州年間最優秀選手賞として1956年に作られた。それから1994年までの39年間はヨーロッパ国籍の選手限定のまま表彰を続けていた。1995年に初めて、UEFAに加盟するクラブチームに所属しているという条件付きではあるが、対象者の国籍を問わないことになった。2007年からは、UEFAに限らず、全世界のリーグも対象となり、晴れて「世界年間最優秀選手賞」の扱いになったのである。とは言え、ワールドクラスの選手がヨーロッパのリーグに一堂に会する現代のサッカー界なのだから、1995年からでも実質「世界年間最優秀選手賞」と言って差し支えないだろう。

このような歴史的背景から、バロンドールを創立したフランス・フットボール誌は、2016年のバロンドール60周年に際し、1994年以前の受賞者を再度評価し直した。つまり、「創立当初からバロンドールが全世界の選手を対象にしたものだったら受賞者は誰になっていたか」を仮想したのだ。その内12回が、再評価の結果、正規の受賞者とは別の選手が受賞に相応しかったという結論に至った。

12回の内の一つ、1962年バロンドール。正式な受賞者は、アルゼンチン出身でありながらスペイン国籍も取得していたアルフレッド・ディ・ステファノだ。しかし、フランス・フットボール誌は、ブラジルのペレが受賞に相応しかったと認定した。ここでは、その理由を考察していく。

 

正式な受賞者 再評価された選手
選手 アルフレッド・ディ・ステファノ ペレ
国籍

アルゼンチン

スペイン

ブラジル
所属 レアル・マドリード(スペイン) サントス(ブラジル)
ポジション

FW、MF

FW

チーム

タイトル

UEFAチャンピオンズカップ優勝

・ブラジル・リオ・サンパウロリーグ優勝

主な個人

タイトル

スペインリーグ得点王

・ブラジル・サンパウロ州リーグ得点王

南米選手権MVP

南米選手権得点王

その他

要素

・ブラジル国内公式戦で年間43試合53得点

南米選手権準優勝

 

ペレアルフレッド・ディ・ステファノ。両者共に史上最高の選手と評価される偉大なレジェンドだ。では、1959年に限ればどちらが世界最高だったのだろうか。

 

まずは、正規のバロンドール受賞者であるディ・ステファノの活躍を振り返ってみる。

ディ・ステファノと言えば、レアル・マドリードの伝説的な選手として有名であり、特に人々の印象に残っているのがUEFAチャンピオンズカップ5連覇という大偉業だろう。1959年はその4連覇目のシーズンにあたる。33歳になるシーズンを迎えていたディ・ステファノだが、トッププレイヤーとしてまだまだ第一線で活躍していた。スペインリーグでは優勝を逃したものの、4シーズン連続5回目の得点王を獲得し、欧州最強クラブのエースとして健在だった。チャンピオンズカップでも、得点王こそジュスト・フォンテーヌに譲ったが、中心選手としてマドリーを優勝に導いている。

 

一方のペレは、リオ・サンパウロリーグを制覇し、州リーグでは2年連続の得点王を獲得している。また、ブラジル国内の全公式戦で、前年の66得点には及ばないものの、43試合53得点という驚異的な数字を残している。本シリーズの1958年版でも紹介した通り、当時の南米の各国リーグには国内の名選手たちが数多く在籍していたため、ブラジルのリーグも欧州リーグに勝るとも劣らない実力を有していた。そのような高いレベルの中でも、まだ19歳だったペレは得点を量産し、既に国内最高の選手の一人になっていた。

さらに、この年には南米選手権(現在のコパ・アメリカ)が3月と12月で2度開催されていた。ペレは3月の大会に参加し、大会MVP得点王の個人2冠に輝く活躍でブラジル代表を準優勝に導いている。コパ・アメリカは、今日でもバロンドールの結果を左右する非常に意味のある大会なだけに、ディ・ステファノよりもペレに有利なシーズンだったとも言える。惜しむらくは、ブラジルがあと一歩で優勝を逃しているという点だろうか。

 

ちなみに3月開催の南米選手権で優勝したのはアルゼンチン代表だが、この中にバロンドールに相応しい選手がいたかどうかは何とも微妙なところだ。ペドロ・マンフレディーニ、フアン・ホセ・ピスッティなどの名選手はいるが、このシーズンはいずれもクラブでタイトルに縁がなかった。彼らが当時プレーしていたアルゼンチンリーグではサン・ロレンソが13年ぶりの優勝を果たしているが、サン・ロレンソに所属し、リーグ得点王になったエースストライカーのホセ・サンフィリッポは残念なことにこの3月の大会に参加していない。サンフィリッポは12月の大会には参加し、得点王にもなっているが、惜しくも準優勝に終わっている。彼がもし南米選手権優勝メンバーになっていれば、クラブ(サン・ロレンソ)でもナショナル(アルゼンチン代表)でも活躍したことになり、リエバリュエーション・バロンドールの最有力候補になっていたかもしれない。

ちなみにペレは12月の大会に参加していなかった。

 

3月と12月、2大会を通じて活躍したのは、ウルグアイ代表のホセ・サシアだろう。両大会で3得点、計6得点を挙げる素晴らしいパフォーマンスを見せ、特に12月の大会では優勝も果たしている。しかし彼もまたクラブレベルではこのシーズンのタイトルに恵まれなかった。

 

1959年はバロンドール候補に挙げられる選手は沢山いるが、どの選手も決定打に欠けているという印象がある。ディ・ステファノペレ、サンフィリッポ、サシア。彼らの中で誰が最も1959年バロンドールに相応しいかは、選ぶ側の評価の基準によって異なってきそうだ。

 

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