1960年バロンドールに相応しいのはスアレス?ペレ?プスカシュ? - サカなん

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バロンドールは元々、欧州年間最優秀選手賞として1956年に作られた。それから1994年までの39年間はヨーロッパ国籍の選手限定のまま表彰を続けていた。1995年に初めて、UEFAに加盟するクラブチームに所属しているという条件付きではあるが、対象者の国籍を問わないことになった。2007年からは、UEFAに限らず、全世界のリーグも対象となり、晴れて「世界年間最優秀選手賞」の扱いになったのである。とは言え、ワールドクラスの選手がヨーロッパのリーグに一堂に会する現代のサッカー界なのだから、1995年からでも実質「世界年間最優秀選手賞」と言って差し支えないだろう。

このような歴史的背景から、バロンドールを創立したフランス・フットボール誌は、2016年のバロンドール60周年に際し、1994年以前の受賞者を再度評価し直した。つまり、「創立当初からバロンドールが全世界の選手を対象にしたものだったら受賞者は誰になっていたか」を仮想したのだ。その内12回が、再評価の結果、正規の受賞者とは別の選手が受賞に相応しかったという結論に至った。

12回の内の一つ、1958年バロンドール。正式な受賞者は、スペイン国籍のルイス・スアレス・ミラモンテスだ。しかし、フランス・フットボール誌は、ブラジルのペレが受賞に相応しかったと認定した。ここでは、その理由を考察していく。

 

正式な受賞者 再評価された選手
選手 ルイス・スアレス・ミラモンテス ペレ
国籍 スペイン ブラジル
所属 バルセロナ(スペイン) サントス(ブラジル)
ポジション

MF

FW

チーム

タイトル

スペインリーグ優勝

・ブラジル・サンパウロ州リーグ優勝

主な個人

タイトル

・ブラジル・サンパウロ州リーグ得点王(30試合33得点)

その他

要素

・インターシティーズ・フェアーズカップ優勝(非公式)

 

 

1960年と言えば、UEFA欧州選手権の第一回大会が開催された年だ。大陸間選手権の中でも最も注目されるコンペティションであり、現在ではFIFAワールドカップに次ぐ人気を誇るナショナルタイトルとして知られる同大会。しかし、第一回大会はイタリア、イングランド、西ドイツといった有力な強豪国は不参加だったため、大会としての評価は今ほど高くなかった。

また、1960年はUEFA欧州選手権の他にAFCアジアカップが行われたが、現在以上にサッカー不毛の地だったアジアのチャンピオンチームなど、世界のどれだけの人が関心を持っていただろうか。ちなみに優勝したのは韓国だが、アジア人でも答えられるファンは限られるかもしれない。

 

上記のことを踏まえると、1960年の年間最優秀選手を決めるには、クラブチームでの成績が一番の判断材料になると言える。

 

正規のバロンドールを受賞したルイス・スアレス・ミラモンテスは所属クラブのバルセロナで不動のアタッカーとして活躍していた。1959-60シーズンも卓越したゲームメイクでゾルターン・チボル、エバリスト、シャーンドル・コチシュラディスラオ・クバラの超強力攻撃陣を牽引し、自らもスペインリーグで23試合13得点を挙げ、優勝に大きく貢献した。また、バルセロナはこの年、非公式ながらUEFAカップの前身であるインターシティーズ・フェアーズカップの優勝も達成しており、これらの成績が評価され、スアレスは同年のバロンドール受賞に至った。

 

一方のペレは、20歳という若さでありながらブラジル最高の一人に数えられるようになっており、国内の名門サントスに多くの勝利をもたらしていた。サントスには世界各国から親善試合の申し込みが殺到し、クラブは収入確保のために世界ツアーを頻繁に実施した。ペレは公式試合と親善試合を並行しながら戦い、ときには1日2試合という異常な過密スケジュールをこなし、世界各地のファンを魅了し続けた。このような多忙な中でも彼はサントスをサンパウロ州トップリーグ優勝に導き、個人としても得点王に輝いたのだった。

ちなみに、ペレはサンパウロ州トップリーグで30試合33得点を挙げており、相も変わらず無双状態だった。世界ツアーとの過密日程のことを考慮すると、舌を巻くほどの超人っぷりだ。

 

当時は欧州リーグと南米リーグの実力差がそれほどなかったため、ペレスアレスと同等にバロンドールに相応しい活躍をしていたと言える。

 

それでは、この2選手以外に1960年バロンドールの候補になり得る活躍をしていた選手はいなかっただろうか。バロンドールの選考に大きく影響するタイトルと言えば、絶対に欠かせないのがUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)だろう。1960年のチャンピオンズカップで優勝したのは、スアレスが所属していたバルセロナの宿敵であるレアル・マドリードだ。

レアル・マドリードにとっては、偉大なる大記録として現在も語り継がれている”チャンピオンズカップ5連覇”を達成した年でもある。そして、その立役者となったのはフェレンツ・プスカシュだった。ハンガリー出身のストライカーは、大会を通じて7試合12得点という驚異的なペースでゴールを量産し、得点王に輝いた。特に、初戦のジュネシュ・エシュ(ルクセンブルク)戦で3得点、決勝戦のフランクフルト(西ドイツ)戦でも4得点と、重要な2試合でハットトリックを記録している。

プスカシュスペインリーグでも24試合25得点を挙げ、得点王になっている。また、スペインオープンカップでも5試合10得点を挙げており、シーズンを通じて公式戦36試合に出場し、47得点という別次元の得点能力を発揮した。ここまでの活躍ならばバロンドールを受賞していてもおかしくないはずだが、正規のバロンドールではスアレスに次ぐ2位だった。惜しむらくは、スペインリーグとスペインオープンカップは準優勝に終わっていることだ。もしどちらかでも優勝していればバロンドール筆頭だっただろう。

 

バロンドールの選考はいつの時代も賛否両論あるものだが、1960年は特に難しい年だったのかもしれない。まあ、筆者の主観では圧倒的にフェレンツ・プスカシュなのだが。

 

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