1964年バロンドールに相応しいのはロー?スアレス?ペレ? - サカなん
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バロンドールは元々、欧州年間最優秀選手賞として1956年に作られた。それから1994年までの39年間はヨーロッパ国籍の選手限定のまま表彰を続けていた。1995年に初めて、UEFAに加盟するクラブチームに所属しているという条件付きではあるが、対象者の国籍を問わないことになった。2007年からは、UEFAに限らず、全世界のリーグも対象となり、晴れて「世界年間最優秀選手賞」の扱いになったのである。とは言え、ワールドクラスの選手がヨーロッパのリーグに一堂に会する現代のサッカー界なのだから、1995年からでも実質「世界年間最優秀選手賞」と言って差し支えないだろう。
このような歴史的背景から、バロンドールを創立したフランス・フットボール誌は、2016年のバロンドール60周年に際し、1994年以前の受賞者を再度評価し直した。つまり、「創立当初からバロンドールが全世界の選手を対象にしたものだったら受賞者は誰になっていたか」を仮想したのだ。その内12回が、再評価の結果、正規の受賞者とは別の選手が受賞に相応しかったという結論に至った。
12回の内の一つ、1962年バロンドール。正式な受賞者は、スコットランド国籍のデニス・ローだ。しかし、フランス・フットボール誌は、ブラジルのペレが受賞に相応しかったと認定した。ここでは、その理由を考察していく。
正式な受賞者 | 再評価された選手 | |
選手 | デニス・ロー | ペレ |
国籍 | スコットランド | ブラジル |
所属 | マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) | サントス(ブラジル) |
ポジション |
FW |
FW |
チーム タイトル |
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・ブラジル・サンパウロ州リーグ優勝 ・FIFAワールドカップ優勝 |
主な個人 タイトル |
・ブラジル・サンパウロ州リーグ得点王(58得点) ・FIFAワールドカップ最優秀若手選手賞 |
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その他 要素 |
・イングランドリーグ準優勝 ・イングランドリーグ30試合30得点 |
・ブラジル国内公式戦で年間46試合66得点 ・FIFAワールドカップ最優秀選手2位 ・FIFAワールドカップ得点王2位 |
無冠でバロンドールを受賞した歴代の選手たち
歴代のバロンドール受賞者の中でも1964年のデニス・ローは珍しいタイプだ。
同年は、所属クラブのマンチェスター・ユナイテッドでもナショナルチームのスコットランド代表でもメジャータイトルを一つも手にしていないのである。
チームタイトルはもちろん個人賞も一切だ。
1956年の初代受賞者であるスタンリー・マシューズは例外として、ローのように無冠でバロンドールを受賞した選手は、彼以外では1978年のケビン・キーガン、2000年のルイス・フィーゴ、2013年のクリスティアーノ・ロナウドくらいだ。
1970年にはゲルト・ミュラーがチームタイトルを獲得せずにバロンドールに選ばれたが、彼の場合はブンデスリーガ得点王とヨーロッパ・ゴールデンシューに輝き、何よりもその年のFIFAワールドカップで大会得点王となり、一大会で10得点以上を記録した史上3人目の選手にもなっているためバロンドールの受賞も頷ける。
なぜ無冠のデニス・ローがバロンドールを受賞した?
ローが1964年のバロンドールに選ばれた理由は、2013年のクリスティアーノ・ロナウドの例と似ている。
2013年のロナウドは、プレーしていたレアル・マドリードでもポルトガル代表でも一切タイトルを取っていない。
タイトルだけで言えば、バイエルン・ミュンヘンでブンデスリーガ優勝、DFBポカール優勝、UEFAチャンピオンズリーグ優勝の3冠を達成していたフランス代表のフランク・リベリーが筆頭だった。
しかし、世論ではタイトルを総なめにしたリベリーよりも無冠のロナウドを推す声が強かった。
一年を通して好パフォーマンスを維持していたこともそうだが、最大の要因は、彼が驚異的なペースでゴールを量産し、年間69得点を挙げていたためだ。
そして下馬評通りに2013年バロンドールはロナウドが手にした。
ポルトガル代表FWの圧倒的「個」は、チームタイトルを重要視する傾向にあるバロンドールの特性をも覆すほどに輝きを放っていたのだ。
2013年のロナウドほどではないが、1964年のローもゴールを量産していた。
マンチェスター・ユナイテッドではプレミアリーグで31得点、FAカップで10得点、UEFAカップウィナーズカップで3得点を挙げ、スコットランド代表での1得点を含めて公式戦45得点を記録した。
その内ハットトリックを4度も達成している。
加えて、当時はUEFAカップの前身にあたるインターシティーズ・フェアーズカップという大会が存在していた。非公式でありながらバロンドールの選考にも影響を与えるほどの価値がある大会であり、ローはそこでも1度のハットトリックを含む5得点を挙げている。
インターシティーズ・フェアーズカップを含む1964年の全コンペティションで50得点を量産したローは、無冠でありながら見事に同年のバロンドールを受賞するに至った。
では、ローとは反対に、メジャータイトルを取った選手の中には1964年バロンドールに相応しい選手はいなかっただろうか。
その点を考察していく。
無冠のローに対し、タイトルを手にした他の候補者たち
ローを除いて最も有力だったのは、ルイス・スアレス・ミラモンテスではないだろうか。
スアレスは1960年バロンドールを受賞して以来、世界最高峰のパフォーマンスを維持し続け、1964年も所属クラブのインテルで主要国際タイトルであるUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)とインターコンチネンタルカップの2つを制する原動力となった。
さらにはスペイン代表としてもUEFA欧州選手権優勝を果たしている。
UEFA欧州選手権はまだ第2回大会であり、規模も人気も今ほどではなかったものの、イングランドやイタリアなどの強豪国も予選に参加するようになるなど、バロンドールの選考を左右させるだけの影響力はあったはずだ。
しかし、大きなタイトルを3つも手にしたスアレスでも、バロンドールの投票では1位のローの61ポイントに対し、43ポイントで2位止まりだった。
その他にも、スアレスと同様にスペイン代表としてUEFA欧州選手権を制し、所属するレアル・マドリードでラ・リーガ優勝に貢献したアマンシオ・アマーロやポルトガル国内でリーグ戦と2つのカップ戦を制してリーグ得点王にも輝いたエウゼビオなどがいるが、いずれも実績に見合う得票ポイントを稼ぐことができなかった。
それほどまでにローの個人としての活躍が高く評価されたということなのだろう。
タイトルと個人成績を両立させたペレ
では、今度はヌーボー・パルマレス・バロンドールでペレが評価された理由を考察していく。
最高の「個」という点では、ブラジルの若き英雄もローに負けていない。
サンパウロ州リーグ34得点、リオ・サンパウロリーグ3得点、全国選手権7得点、ブラジル代表としての2得点、年間を通して公式戦46得点という怪物級の記録を残している。
サンパウロ州リーグとブラジル全国選手権では得点王にも輝いた。
そしてこの46得点は僅か33試合で挙げたものということも付け加えておこう。
さらにペレの場合、サンパウロ州リーグ、リオ・サンパウロリーグ、ブラジル全国選手権を優勝しており、チームタイトルを獲得している点がローとは異なっていた。
当時のブラジル国内リーグのレベルが欧州リーグと遜色なかったことを考慮すると、タイトルの重要性も申し分ない。
以上のことから、抜群の個人成績に加えてタイトルを多く獲得しているペレがバロンドールに相応しいと評価されるのも頷けるだろう。
至ってシンプルだが、理由としては十分だ。
- 2020.07.05 Sunday
- バロンドール
- 20:57
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- by soccer-nan